マイストーリー La mia storia
静岡県出身
音楽関係とは全く関係ない家庭に生まれる。
3歳の頃、年末音楽番組を観ながら歌ったのが音楽との最初に出会いだったらしい。
その後は特に音楽の習い事などは始めなかったが、小学校5年生の時にピアノを習いたいと言ったが、なぜかヤマハ音楽教室エレクトーンに通うことになる。
しかしピアノへの情熱は捨て切れておらず、全く上達しないで2年間ほどで辞めることになる。家には買ったばかりのエレクトーンだけがありピアノは学校の音楽室で昼休みになると弾きに行っていた。
中学に進学すると吹奏楽を知り迷わず入部。
一番吹きたかった楽器はオーボエだったが、学校にオーボエはなかった。次に吹きたい楽器がクラリネットだったので、女子の中に男子独りという過酷な中、夢中で頑張る。
その時、自分は生涯音楽と共に生きて行こうと決意をする。
高校受験になる頃、学校を決めなければならないが、迷わず音楽がいつも側にある環境が欲しくて音楽科を受験することにする。
当時通っていた中学校は国立大学教育学部附属中学で皆、普通科に進学するのが当然だった。そんな中、なんとこの年に3人も音楽科へ進学することになり、僕はそのうちの一人だった。その頃から猛烈にピアノを習い始め、クラリネット専攻で受験し合格する。しかし高校2年の時に歌の魅力に惹かれ受験半年前にして声楽に転向。武蔵野音楽大学音楽学部声楽学科を受験し合格する。
大学4年間は何が何だかわからないまま一生懸命に声のテクニックを研鑽しながらなんとか過ごす。卒業試験では大失敗をし、大きな壁にぶつかった。その後、ショックのあまり数年間歌うことを辞めサラリーマンになる。約3年間のサラリーマン生活の後、歌うことへの感情が押さえきれず、再び声楽を始め基礎からやり直す。その後、約1年半のヴォイストレーニングのかいあって、挙式で歌う仕事をいただけた。平日はアルバイトをし、週末は歌える喜びを胸に頑張っていた。
そんな生活を数年した後、念願叶って一年間イタリアへ留学。この一年間で水を得た魚のように音楽は勿論、いろんなイタリアの文化や人や習慣などを全身で感じる事ができた。翌年にはイタリア・ローマ近郊の教会にてオーケストラと合唱団をバックにソロを歌ってイタリアデビューを果たすことができた。翌々年には声楽家4人とピアニストの仲間で帰国後、初のコンサートを開催する。
その後、イタリアオペラ作曲家プッチーニ生誕150年記念公演でオペラ「ラ・ボエーム」ハイライトのパルピニョール役で待望のオペラデビューを果たすことができた。その後も幾つものオペラに出演させていただくことができたりなど、フリー声楽家としてオペラ意外にもコンサートやイベントなどで歌ってきている。東日本大震災では、ラジオ放送にゲスト出演し、被災地へ励ましの言葉と歌を披露できたことが心に深く残っている。
その後、イタリア留学から数十年の時が過ぎ、またイタリアと交流ができる機会があった。その時からイタリアと日本との文化交流に力を注ぎ、ローマの教会にて2回のリサイタルを開催できた他、ヴァチカン日本大使夫人主催のチャリティーバザーで歌を披露するなど日伊を往復する人生が始まった。
将来の夢はイタリアで歌いながら畑を耕し、自給自足の生活をすること。
歌は自分の中の一部であり、表現する手段の一つだと思っていること。
【私からのメッセージ】
音楽とは『音を楽しむ』と書きます。
クラシック音楽をもっと身近に感じて欲しいと思っています。
小さな舞台から大きな舞台やイベント会場まで
歌えるところには飛んで行きたいと思います!
また、聴きたくてもきっかけがなかったり、足を運びにくい方たちのために
分かりやすく気楽に楽しんでいただけるような企画もしていきます。
色んな方々との共演や出演依頼も承ります♪
また子ども~大人まで
後進の指導も積極的にしていきます!
どうぞ宜しくお願いいたします!